ドイツビールの歴史。「オクトーバーフェスト」と「ビール純粋令」

日本でも頻繁に開催されているオクトーバーフェスト、行かれたことがある方も多いのではないでしょうか。
なぜか日本では毎月のように全国各地で開催されているオクトーバーフェストですが、本来はドイツ ミュンヘンで開催されるビールのお祭りです。もちろん、年に1回しか開催されません。
オクトーバーフェストにまつわる「え?そうだったの?」というエピソードと、ドイツビールのラベルにも記載してある「ビール純粋令」について詳しくご紹介します。
歴史がわかるとドイツビールの味わいがますます深まりますよ!
オクトーバーフェストってどんなお祭り?
本来のオクトーバーフェストは、ドイツのミュンヘンで毎年9月の半ばから10月にかけて行われる超大規模のお祭りです。
会場となるのはテレージエンヴィーゼ広場。日本の感覚の「広場」は駅前広場のようなサイズですが、テレージエンヴィーゼ広場の大きさはなんと東京ドーム約9個分!
ここに毎年世界中から600万人もの人が集まります。
2015年4月1日時点の千葉県の人口が6,197,784人なので、ひとつの広場に千葉県の人口と同じくらいの人が集まるということですね。
わかりづらいでしょうか(笑)
とにかく、祭りの規模も会場も超がつくほど大きいということです!
オクトーバーフェストのはじまり
オクトーバーフェストの説明としてよく言われているのが
ルートヴィヒ皇太子とザクセン皇女の結婚式を市民が祝ったことが始まり
ですが、ビール祭りとしての本当の始まりは新しいビールの醸造シーズンを迎えることを祝うお祭りでした。
かつてのドイツでは夏場の雑菌の繁殖などによりビールが腐敗することを防ぐため、ビールを醸造して良い期間が10月から3月までと決められていました。
そこで醸造解禁の10月に今年も新シーズンを迎えられたことを祝いましょう!という趣旨の、地方ごとに行うような村祭り的イベントとして行ったのがそもそもの始まりなのです。
その頃のビール祭りは、前シーズンに作ったビールを飲みほしながら新シーズンも頑張ろうというような決起会を兼ねていたのかもしれませんね。
この小規模の祭りが現在のミュンヘンのオクトーバーフェストとして開催されたのは1810年の10月です。
これがルートヴィヒ皇太子とザクセン皇女の結婚式。現在のようにビールを中心とした祭りではなく、盛大な競馬をメインイベントとした祭りでした。
このお祭りが市民にも大歓迎されたことから毎年開催するようになったのがミュンヘン オクトーバーフェストのはじまりでした。
オクトーバーフェストで提供されるビール
オクトーバーフェストでは「マス」と呼ばれる1リットルサイズのジョッキでビールをいただきます。
ディアンドルという民族衣装を身にまとい、マスを両手にいくつも持ってテント内を笑顔で歩くウェイトレスはオクトーバーフェストの風物詩!
彼女たちにチップをはずむと、ジョッキ満タンにビールを注いでもらえたり、他のテーブルよりも優先して食べ物を持ってきてくれたりするそうですよ!
オクトーバーフェストのためだけに作られるビールもあります。
そのままズバリ、「オクトーバーフェスト」というスタイルのビールもあります。このオクトーバーフェスト・スタイル、またの名をメルツェンといいます。
メルツェンは「3月」の意味。
かつてはビール醸造期間の最後(3月)に作って、夏までもたせるためにアルコール度数を高めに設定していました。
腐敗の心配がなくなった現在でも伝統を守る意味合いでメルツェンは高アルコールになっています。(5~6%)
日本のオクトーバーフェスト
ミュンヘンほどの規模ではないですが、オクトーバーフェストは日本でも楽しむことができます。
■2015年のオクトーバーフェスト
・お台場:4月24日~5月6日
・日比谷:5月15日~5月24日
・駒沢:5月29日~6月7日
・奈良:6月19日~6月28日
・立川:6月26日~7月5日
・東北:7月3日~7月12日
・豊洲:7月10日~7月20日
・芝:8月21日~8月30日
・日比谷:9月11日~9月20日
・お台場:10月2日~10月12日
などなど。
ドイツビアはもちろんですが、本場のソーセージやプレッツェルなどの食事も楽しんで下さいね!
ビールの質を守る法「ビール純粋令」
ドイツビールのラベルに
「本製品は水、麦芽、ホップのみを原料とした本場ドイツのビール純粋令に基づいて醸造されたビールです。」
と記載されているのを見たことがありますか?
ビール純粋令は「ビールは大麦、ホップ、水のみを原料とすべし」という内容で、これ以外の材料を故意に使うと罰則があるとも定められています。
このビールの質を守るための法「ビール純粋令」が施行されたのは1516年4月23日。バイエルン公ヴィルヘルム4世が制定しました。
なぜこのような制定が必要だったのか。その理由は2つあります。
材料を制限してビールの質を守ろう!
この頃のバイエルンのビールは麦芽とホップ以外に香草や果実なども使われていました。
伝統的に使われていた副原料もありましたが、中には毒性を持つものや添加物ばかりのニセモノも混ざっていて、安心して飲めるおいしいビールばかりというわけではありませんでした。
そのため地元バイエルンのビールは人気がなく、北ドイツから輸入するアインベックビールが絶大な人気を誇っていました。
輸入ビールは価格が高いのが難点。そこで、輸入に頼らないための策として材料を限定して地元ビールの質を上げようとした、というのがひとつめ理由です。
小麦粉は主食!ビールに使っちゃダメ!
ビールに使う麦芽(モルト)は、大麦でも小麦でも作ることができますが、小麦はパンなどの主食になるのでビール醸造に使うことを禁止して、食料に充てるという狙いがふたつめの理由です。
ただ、ドイツにもウィートモルト(小麦で作ったモルト)系のヴァイスビアがあるように、小麦ビールはゼロではありませんでした。さらに南ドイツ、ミュンヘンはヴァイスビアの始まりの土地でもあります。
使っちゃダメと言われているのに、いったいどこの誰が小麦ビールを醸造していたのかというと、なんとバイエルン王家の宮廷醸造所や一部の修道院など!
ごく一部の醸造所では小麦を材料にしても良いということになっていたのです。
憶測ですが、だってやっぱり飲みたいじゃん・・・ということだったのでしょうか?
一部でしか作られない小麦ビールを独占したのは当時のお金持ちや貴族でした。
これらの背景から、贅沢なビールという意味を込めて小麦ビールは現在でも「貴族のビール」と呼ばれています。
ビール純粋令のその後と現在
■酵母の使用許可
施行当時は、大麦・ホップ・水しか使ってはいけないことになっていましたが、1556年には酵母も使用して良いということになりました。
■ドイツ帝国誕生によるビール純粋令がドイツ全域に広まる
1871年に誕生したプロイセン王ヴィルヘルム1世を皇帝とするドイツ帝国でもビール純粋令は有効とされました。そのため、ドイツからは果物やスパイスなどを用いたビールの多くが作られなくなってしまいました。
■現在のビール純粋令
ビール純粋令は現存する食品に関する法律としては世界でもっとも古いと言われていますが、EC加盟諸国から非関税障壁(関税以外の方法で貿易を妨げるような障害)だと声が上がったことから1987年に正式に効力を失っています。
しかし現在でもドイツ国内の多くの醸造所はビール純粋令に従いながら醸造しています。
■ビール純粋令の非合法化による影響
ドイツには塩やコリアンダーを用いたゴーゼビールというとても珍しいビールがあるのですが、こちらも一時は存続の危機を迎えました。
現在はライプツィヒを中心に作られるようになっています。
ビール純粋令が制定されてから来年でちょうど500年。
ベルリンの壁が崩壊してから今年で26年です。
ドイツビールの歴史はそのままドイツの歴史と言っても良いかもしれませんね。