ラーデベルガー・ピルスナー(Radeberger Pilsner)のレビュー

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ラーデベルガー・ピルスナー(Radeberger Pilsner)のレビュー
クリアな苦みがクセになる!ドイツ最古のピルスナーと言われる、ラーデベルガー・ピルスナー(Radeberger Pilsner)をご紹介します。このビールの味は?風味は?レビューを書きましたのでご覧ください。

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ラーデベルガー・ピルスナー(Radeberger Pilsner)の基本情報

銘柄(商品名):ラーデベルガー・ピルスナー
醸造所名:ラーデベルガー・エキスポルトビア・ブラウエライ株式会社(Radeberger Exportbierbrauerei GmbH)
原産国:ドイツ
アルコール度数:4.8%
原材料:水、大麦麦芽、ホップ
ビールスタイル:ジャーマンピルスナー
内容量:500ml
カロリー:記載なし
参考価格:0.93ユーロ(日本円で120円程度)


ラーデベルガー・ピルスナーの味や風味

<外観>
ラーデベルガー・ピルスナーの外観

これまでご紹介したザウアーレンダーピルスナー(ビットブルガー、ヴァルシュタイナー)やハンゼアティシュピルスナー(ベックス、フレンスブルガー)に比べると、色はやや濃く、獅子の毛並みを思わせるような美しい黄金色です。しかし泡は色づくことなく真っ白。泡切れがよく、あまり泡立ちません。

<飲む前の香り>
この時点でホップの苦味が感じられます。薬膳香とでも言えばいいでしょうか。ハーブよりも幾分渋みがある香りです。

<飲んだ時の香り>
口に含むとピリッとした苦味とともに、爽快なハーブ香が広がります。しつこい香りではなく、喉越しの良さとあいまってさっぱりと感じられます。

<ラーデベルガー・ピルスナーの味>
突出しているのはその苦味。ピリッとした苦味と微炭酸、キレのある喉越しがガツンときます。ドイツでは大麦の味がしっかりと感じられるビールが多いのですが、大麦特有の甘みはあまり感じられません。日本のドライビールに近い味わいなので、好きな人だとたまらないですね。

炭酸は普通程度。それでも日本のビールに比べると弱め。雑味はなく、ストレートな苦みが伝わる、程よい炭酸具合です。アルコール度数は4.8パーセントと標準。おおむねピルスナーは4.8パーセントですね。

<ラーデベルガー・ピルスナーの飲みやすさ>
苦味が際立つビールなので、そもそも「ビールが苦手」という人には受け入れられにくいビールだと思います。反面、ビールが大好物という人にとっては、かなり満足できる仕上がりでしょう。飲む人を選ぶという点で評価は星4つ。喉越しを楽しみたいので少し冷やして飲むのがオススメです。

<ラーデベルガー・ピルスナーに合いそうな料理>
あまりパンチのない料理だとビールの苦味に負けてしまうでしょう。日本料理だとこってりした手羽先の甘辛煮や豚の角煮などがいいかも。ドイツ料理だとラーデベルガーを生産しているラーデベルグやベルリンなどザクセン地方の名物、アイスバイン(豚すね肉の煮込み)が良さそうです。ただし、かなり量が多いので、もしドイツで食べるならば数人でシェアした方がよいと思います。

<総合評価>
★★★★☆(星4つ)


ラーデベルガー・ピルスナーのレビュー

ラーデベルガー・ピルスナーのレビュー

ドイツのお土産!おすすめビール ベスト5」という記事でも一度ご紹介したラーデベルガー・ピルスナー。大変おすすめのビールなので、内容を簡単におさらいしておきましょう。

ビールと言えばドイツという印象ですが、現在世界で一番飲まれているピルスナービールの起源は実はチェコのピルゼンという町です。ちょっと意外ですよね。

元々、ドイツでビールづくりが盛んだったのですが、隣接するチェコでもドイツでのビール人気にあやかってか、ビールづくりに取り組む町が増えていきました。しかしどうやってもうまくいかない。そこで本場ドイツから技術者を招へいし、ビールづくりを始めたところ、ピルゼン特有の軟水やホップ、奇跡的な配合により、それまでにはなかったまったく新しいタイプのビール、ピルスナーを作ることに成功しました。それが1842年のことです。

当時、ドイツで最もメジャーだった下面発酵のビールは濃茶色でほとんど泡が立たないビールだったと考えられています。それでもホップの苦みやキレのある喉越しのビールは人気でしたが、ピルスナーはそれを軽く凌駕し、なおかつキラキラと輝くような黄金色で見た目にも美しく、人々を虜にしてしまいました。

ビールづくりに懸けるドイツ人がこのピルスナーを見逃さないわけがありませんよね。チェコ・ピルゼンでのピルスナー開発から遅れること30年。ベルリンから南東にあるラーデベルグという町で、現存するピルスナーの中ではドイツ最古と言われている「ラーデベルガー」が生まれることになるのです。

ドイツのビールづくりは地方ごとに特色があり、ほとんどの町でオリジナルのビールがあると言っても過言ではありません。ピルスナーへのチャレンジも、いろいろな街で行われたけれど、うまく軌道に乗ったのがラーデベルガーだったということでしょうか。現在、
出荷高がドイツトップ10とも言われるラーデベルガーの歴史について見てみましょう。


ラーデベルガー醸造所(ラーデベルガー・エキスポルトビア・ブラウエライ)について

公式ホームページによると、1872年、Gustav Philipp(グスタフ・フィリップ)、Max Rumpelt(マックス・ルンペルト)、Florenz Julius Schone(フロレンツ・ユリアス・ショーン)、Carl Hermann Rasche(カール・ヘルマン・ラッシュ)、Heinrich Minckwitz(ハインリヒ・ミンクヴィッツ)という5人が「かつてない、ドイツ独自のピルスナー」を作るために集まりました。

これだけならばよくある話です。これまでにご紹介したほとんどのビール醸造所が1872年よりも前にビールづくりを始めています。しかし特筆すべきはこの5人全員が醸造に関してのまったくの素人であったこと。経営や政治、製造など畑違いから集まってきていました。一見、デメリットとも思える経歴ですが、かえってこれが幸いし、彼らの独特な発想と資金によって、現在に通じる「ジャーマン・ピルスナー」が作られたのだと書かれています。

さらに彼らの情熱を形にしたのが、Conrad Brüne(コンラッド・ブリューネ)という若き天才マイスターです。彼がラーデベルガーに在籍したのは1886年から1923年。彼の完璧を目指す冷徹なまでの探求が、新しい醸造法へのブレイクスルーをもたらし、「ピルスナー・センセーション」を巻き起こしたのだと言います。

酵母による発酵の仕組みが科学的に証明されるのが19世紀の終わり。コンラッド・ブリューネのころにはまだまだ経験と勘による醸造がなされていたはずですが、そこに科学的な手法を導入し、ドイツにはまだなかった「ジャーマン・ピルスナー」を作り上げたのでしょうか。興味深いですね。

ラーデベルガーの革新的な味は、数々の権力者や著名人にも愛されました。ドイツ帝国初代宰相、ビスマルク・オットーはラーデベルガーの魅惑的な味に夢中になり、公式に「宰相のビール」と名付けたほど。その後も多くの宰相・首相に愛されました。

また当時のザクセン王、フリードリヒ・アウグスト3世はラーデベルガーを王宮の公式飲料として採用。ボトルにもそのことが書かれています。
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現在も生産しているビールは「ラーデベルガー・ピルスナー」のみ。それも昔ながらの製法を守っているというのだから驚きです。にもかかわらず、生産量は常に10位に入るというのですから、いかに愛されているかよく分かりますね。ボトルの裏面を見ると「Gebraut nach dem deutchen Reinheitsgebot.(ビール純粋令に基づき醸造)」と書かれています。

いまやメジャーになったジャーマン・ピルスナーですが、その起源がラーデベルガー・ピルスナーにあるのだと思うととても感慨深い思いがします。キラキラと輝く黄金色の中に詰まっている歴史も含めて、ぜひラーデベルガーの苦味や喉越しを味わってみてくださいね。

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ラーデベルガー公式ホームページ「Legend」より

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